シングルマザーの勇気と情熱

「母として」から、「自分らしく」へ。2019年、気球に乗り換え、さあ出発!

世紀の花

年に一度、遠方から「詣」のようにやってくる友がいる。6月に海外から――そして7月に現れるのは大阪の友である。

(さて、今年はどこへ案内しよう…)

上京の知らせを受けとった日から、あれこれと案内場所を思案する。もちろん、主要目的はたがいの近況報告およびエール交換なのだが、回が重なるにつれ、それらを引き立てる風光明媚な場所や食事といった演出が整えばなおよしという心境になった。

もてなす相手の嗜好やその年の生活状況から、こちらの気力体力財政事情までをも加味し、「人生のほんのつかのまの〈限られた時間〉をどのように彩るか」を真剣に思案する。本を開くすきまもないほど押しこめられた満員電車に揺られる間や、慣れた道を歩いているときなど、日常生活の合間あいまにイメージをふくらませる――

果てに、大阪の友人H氏にさゆりが提案した2019年の選択肢は、

① 30年に1度しか咲かない花見ツアー

② お台場グルメ&最先端市場ウォッチング

③ 巨大な作品群に身体ごと没入する光の美術館体験

の3肢だった。もちろん、当初から本命は①――さすれば、さすがは長年の友。メールを送るとほどなく「①で」とみじかい返信がかえってきた。

「では、7月〇日〇時にGINZA SIXで」――前回別れた地点付近を起点とするのがさゆりの好みである。1年前、その付近の珈琲店を出たところでかたい握手を交わした。まるで長い航海にでも出るかのように、憂いをふくんだ目で帽子に手をかけた友の姿が銀座の辻にあった。

その1年後――小雨そぼふる銀座の軒下に、商業スペースの開店を待つアジア系観光客らにまじって立ち尽くしていると、ほどなく粋なハンティング帽をかぶったH氏が目が覚めるほど鮮やかな赤いポロシャツ姿で現れた。

「お久しぶりです。お元気でしたか?」

「さゆりさん」といったきり、左右を指さし、すぐに歩き出すH氏のクセ……昔から変わらぬスタイルを懐かしく思いながら歩調を合わせ、矢継ぎ早に近況を尋ねながら駅へと誘導する……

目的地までのバスが出ているという駅で電車を降りると、想像より大きなバスターミナルがモノレールの高架下に現れた。大きな口をあけてバスが停車している停留所の案内板で行先を確認していると、「プシュー」っとクジラが潮を吹くような音を立てて扉が閉まり、バスは発車してしまった。

「……あのバスやったな」

案内板から目をそらし、悔しそうにつぶやく〈待てない大阪人〉のH氏。「これも神さまの仕業ですよ」と明るく受け流す〈ノーテンキな東京人〉さゆりに促され、目のまえのベンチに腰かけて話のつづきに熱中する……

なぜだかH氏はそのとき、幼少期の話を始めた。「へえーそのお話、初めて聞いた」とさゆり。学生の頃、2人だけで行ったレストランで母が楽しそうに銀座での新入社員時代の話を始めたとき、「十何年も一緒にいて、まだ『初めて聞く話』があるんだ~」と、話の中身よりその事実に感銘を受けたことが頭をよぎるが、友人づきあいが長くなってきたH氏にもそのような一面を見せられ、クジラバスを静かに発信させてその話を引き出す環境をととのえてくれた「神の仕業」にひそかに手を合わせる……

山に向かってうねっていく道のふもとのコンビニエンスストア前でバスを降りると、通りの向こうに目的地であろう寺の門がしっとりと佇んでいた。そこにさゆりたちを待ちかねる女性が2名……遠くからすでに意図を察していたさゆりは、すぐさま手を伸ばして一方の人からiPhoneをうけとり、門の前でポーズをとる2人に向かいシャッターを切る。つづいて中へと足を踏み入れ、しばらく境内を徘徊してようやく、すぐ目のまえにそびえ立つ、まるで樹木のような植物が目的の「花」だと認識できた。

わずか2,3か月前には下のもさっとした葉の部分しかなかったのが、春頃からにわかに茎らしきものが伸び、ついにはとなりのお堂の高さを抜いて黄色い花をつけたという。Century Plant=世紀の花――それを間近で見て感じたのは、圧倒的な生のエネルギーと、その植物の強い意志だった。

朝花開き、夕方には散っていく花、4日間だけの命を燃焼させる花、桜のように1週間ほど愛でられては落ちてゆく花……花の種類は数々あれど、このたくましい植物は、半世紀の間養分を蓄えつづけ、天に(=神に)もっとも近いところで花をつける道を自ら選んだのだ……

(……30年~50年…!)

不意に、目の前の神秘の花が自分とシンクロする。体力気力の盛りを過ぎ、枯れて行く一方だとうちひしがれている場合ではない、じつは天高く茎を伸ばし、〈本来咲かすべき花〉を咲かせる時期かも……と。

花の盛りをわずかに過ぎていたことや、梅雨時で天候がどんよりしていたこともあり、「最盛期の香しい花」という感じではなかったことが、さらに現在の自分とのシンクロを加速させたのかもしれない。ともかくその瞬間、さゆりはその植物に、植物はさゆりに、完全に同化していた。……

全体像を見渡せるようすこし離れて立つと、H氏も、H氏なりの人生への思いを投影させながら、その恐竜のような巨大な花と静かに相対していた。その姿はさながら、そぼふる雨の中を1人でゴルフバッグを背負ってラウンドする、孤高のゴルファーのようだった。

 

 

 

 

column【ソーシャル・サポーターを育む】

先日、忙しいなか駆けつけてきて「アジカン呼吸法」を教えてくれたゆめのさんが、「病気になったとき、助けてくれる〈ソーシャル・サポーター〉を、日頃から育んでおくことが大事」と力説していた。

がん患者さんの心のケアをする精神科医のもとでヨガ講座を担当したことのある彼女がやさしく解説してくれたところによると、われわれが普段から育んでおくべき「ソーシャル・サポーター」は、おもに以下の4つのタイプに分かれるという。

1.手段的サポーター

俗にいう”アッシー”くん”メッシー”くんから、一緒にスポーツや旅といったアクティビティを楽しむ相手、あるいは買い物や育児援助など実質的な手助けをしてくれる人

2.情報的サポーター

医療者やその周辺の人々、各種専門家、地域のママ友など、具体的な問題の解決に必要な情報や助言を与えてくれる人

3.情緒的サポーター

何でも相談でき、その人の前だとホッとできる家族・友人といった人々や、その人と会うとエネルギーが高められ明日への活力がわく人

4.評価的サポーター

困難に立ち向かう様子に耳をかたむけ、「君はよくやっている」と肯定的な評価を与え、励ましてくれる人

……そしてさいごにゆめのさんは、意味深長な面持ちでこうつけ加えた。

「1人の人が何役も担っている、ということもよくあるけれど、4つすべてが旦那さんだけ、奥さんだけ、っていうパターンが一番あやういんだよね」……

思い返せば、ハネムーン先のイタリアで大きなバス事故に遭い、長いリハビリを経て日本に帰国した折、さゆりがさいしょにしたことは、それまで懇意にしていた人々1人1人に順番に電話をかけることだった。

純粋に「声が聞きたい」「元気だと知らせたい」という思いにかられての行為だったが、今思えばそれは、「私はまだ生きた存在としてあなたの〇〇リストに入っていますよね?」という社会的アピールであり、「私はまだ生きた存在として社会の一員でいますよね?」という自分のなかの確認作業でもあったように思う。

〇〇の中身は、たとえば「友人」「親戚」」「生徒」「先生」「ご近所さん」「取引先」「顧客」…など。こうした経験をもとに、あらためて自己をとりまく周囲の人々をカテゴライズしてみると、

1.手段的サポーター:家族、親戚、友人、職場の人、ご近所さん、公共施設の人……

2.情報的サポーター:家族、親戚、友人、公共施設の人、医療者その他の専門家……

3.情緒的サポーター:家族、親戚、友人、職場の人、先生₌人生におけるmentors……

4.評価的サポーター:家族、親戚、友人、先生₌人生におけるmentors、行きつけの美容師・歯科医……

といった人々の顔が浮かぶ。宇宙規模からすれば、露が落ちる一瞬のような人生のなかで出会えたかけがえのない人たち……その出会いの奇跡と、たがいの努力によって培ってきた関係を思うと、心の底から感謝の思いがあふれてくる。

ケガをしたり病気になって一時的に社会生活から離脱(もしくは部分離脱)しなければならなくなったとき、「人」によって形成されるセーフティー・ネットほど強靭なものない。それも、配偶者や子など誰か特定の一個人ではなく、複数の人々によるまさに「網」のような安全網がいかに頼りがいがあるかは、大事故に遭った経験から実証済みである。

このような経験があったからこそ、このときのゆめのさんの話に、さゆりは大きくうなずいたのだった。

今回、病の告知を受けたことを話したとき、一緒に泣いてくれた古くからの友人の1人に、「いちばん求めていることをしてあげたいけれど、私にどうしてほしい?」

と尋ねられたことがある。そのとき、さゆりの口から出てきた答えは、

「普通にしていてほしい。〈病気だ〉とか〈スポーツやアクティビティを控えなければならない〉とか思わずに、今までと同じように接してほしい。そして、どうしても助けが必要になったときは、どうしてほしいかをきちんと伝えるから、そのときは力を貸してほしい」

ということだった(これは自分でもかなり意外な答えだった)。友人は強くうなずき、以来、何事もなかったように、今までどおり明るく接してくれている。そのかわらぬ姿に愛(=友情)を感じ、寄り添われる側も、〈どうしても助けが必要なとき〉とやらができるだけ遅い足どりでやってくるようがんばろうと、心ひそかに誓いをたてる……

そして……さらに大切なことに、親が育んだ安全網が、子の救いになるということがあるようだ。2つ目の専門病院で渡された〈だれも分かってくれない―思春期の子どもにとって、親ががんの患者であるということ〉というチャイルド・サポート・プログラムの小冊子には、〈友だちや親以外のサポートについて覚えておくべき大切なこと〉として、

◇ 子どもが医師などの医療従事者と話すことを認めてあげてください。

◇ 親の病気について誰が把握しているのか、誰だったら気軽に相談できるのかを思春期の子どもに明確にしてあげてください。

という記述があった。つまり、親が築いた人脈が、子の安全網にもなりうるということである。

かつて何かの本で、「人の本性はこちらが羽振りのよいときではなく、苦境に立たされたときに現れる」といった内容の文章を読んだことがあるが、実際に数々の〈苦境〉に直面して感じたことは、「自分がそれまでどのように人と関わってきたかの真価が問われる時期だ」ということだった。

つまり、作家が「苦境で~現れる」と述べた文章の真の主語は、「自分自身がそれまでいかようにまわりの人々と関わってきたか、ということの真価」だと痛感したのである。

こうした〈安全網〉は、一朝一夕には作り上げられない。また、お金でも買えない。日常のなかで地道に種をまき、手入れをし、育んでゆかねばならないものである。

世の中は〈もちつもたれつ〉……やがてお世話になるかもしれない日のために、「お世話」されるのではなく「お世話」できる喜びをかむしめながら、ささいなことにも手を抜かず、こちらができる最大限を、ていねいに重ねていく――これぞまさに、社会的動物である人間のなすべき姿なのではないか……

まさに、

"The more we give, the more we get."

ということが、今回の経験が授けてくれた大切な教訓の1つだった。

 

*写真は、ゴルフ場で遭遇した(なんと、風薫る5月の!)彩りの風景。人間にもさまざまな色合いがあって、全体で地球を彩っているのだと感じた瞬間の1枚。

 

 

奇跡の絆 (字幕版)

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理科が楽しくなる大自然のふしぎ 岩石・宝石ビジュアル図鑑

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2018年宇宙の旅

PET検査の当日は、すっきりと目覚めた。「爽快」というよりは、凛と張りつめていて、どちらかというとOFFに訪れた高原の朝というより、スポーツの試合の朝のような爽快さ――ここまで行ってきた食事制限や運動制限も影響していると思うが、一種独特な空気感のなかでプシューッと音をたててドアをひらく地下鉄が、まるでNASAまでこの身を運んでいってくれるスマートな乗り物のように光って見えた。

通勤客にまぎれて病院へ到着すると、ナースと予行演習でたどったルートを思い出しながら、下りのエレベーターにのり、PET検査室をめざす。はじめて足を踏み入れた扉の内部は、予行演習の折に想像した冷たい地下神殿のような場所ではなく、人々がせわしなく行きかう明るい銭湯の玄関のような場所だった。

前の人にならって靴を脱ぎ、靴箱にいれると、銀河鉄道999に出てくるメーテルのような笑みを浮かべた(ただし体型はずいぶん異なっていたが!)ナースがどこからともなく現れ、無言のまま、入り口付近にあるキャスター付きのカゴを指さす。こちらも無言でうなずくと、上下のカゴに荷物のいっさいがっさいをのせ、静かに押しながら、ふたたび小柄でふくよかなナースに従った。

 

 

ロッカーで上下の検査着に着換え、案内された小部屋でわずかに待たされた後、「放射性薬剤」を注射される。そでまた、小柄なメーテル女史は姿を消し、ややたってもどってくると、また笑顔でさゆりを別な部屋へ連れて行った。

そこは――カーテンで仕切られた、テレビ付きの快適な安息空間だった。

(本物の宇宙飛行士も、ロケットの発射準備を待つ間、こんなところで待機しているのだろうか……)

そんなことを考えながら、安息のために用意された小さなスペースをながめ回し、隣りや、その隣りから聞こえてくる息遣いやテレビ音に耳を澄ましながら、ようやくそろりと長椅子に身を横たえる……

 

 

せっかくテラスにチャンネル権をうばわれることはない独占空間に、家より大型のテレビがあるというのに、スウィッチを押す気にはなれず、サイドテーブル上に置かれた〈PET検査の流れ〉という案内に目を通す……

〈PET検査の流れ〉

1)FDG注射――放射性薬剤(FDG)を静脈注射します。

2)安静――体内に薬剤を循環させるため、60分間安静にしていただきます。

3)排尿――撮影直前に膀胱内にある余分な薬剤を排出するため、お手洗いをすませていただきます。撮影直前になりましたら職員がご案内します。

4)撮影――PET/CT装置にて全身を撮影します。着衣のまま20-30分程度、ベッドの上で安静にしていただきます。ベッドが少しずつ動きながら進んでいきます。呼吸の合図などはありませんが、撮影中は大きくお体を動かさないように気をつけてください。

職員の口数が少なく、すべて案内用紙がたよりなそこは、まるで宮沢賢治の「注文の多い料理店」のよう。「~ていただきます」という日本語の言い回しさえ、張りつめた空気の中にいるさゆりにはなんとなく動物チックに感じられ、

「ええい、煮るなり焼くなり好きなようにしやがれぃ!」

と、落語の登場人物をきどりでつぶやいてみるが、それでも宇宙へ旅立つ直前のような緊張感はほぐれず、

(漆黒の闇の中で、わが体内に注入された「放射性薬剤」はどのように光り輝くのだろうか……)

などと想像をめぐらせている……

すこしうつらうつらはじめた頃、カーテンがあけられ、案内人につれられていよいよロケット発射台へ。そこにまちかまえていたのは、日本語を流暢に話す(あたりまえか!)検査技師。

「音がうるさいですが、耳栓はできませんのでご辛抱ください。寒いので、毛布をかけます」

などと声をかけられながら、起立の姿勢のままベルトのようなもので固定され、その上から毛布でくるまれ……と全身ミイラ状態。ようやく機械の中へと動きはじめたとき、とどろく轟音のなかで真っ先に頭に浮かんだのは、

(テラスも4~50年後にこんなところを旅をするのかな……)

ということだった。

(私ができるだけひきうけるから、痛い思いや苦しい思いをできるだけすることなく、一生を過ごしてほしい……)

とやや感傷的に。……地球をあとにする瞬間の人間の願いとは、こんなものだろうか。

両手を側面に固定された状態で狭い空間へ入るのは、想像以上に恐ろしかった。時おり技師が発してくれる声が、唯一の救いだったが……

すべてのMUST事項=「~ていただきます」事項(⁉)から解放され、地下の世界から地上へ飛び出すと、あふれんばかりの光の襲来に目がおいつかず、溺れたモグラ状態に……手をばたつかせながら、人にぶつからないよう、壁づたいにそろりそろりと進む。

そうしてすこしずつ目に映ってきたものは、冬枯れの街路樹、人ごみをかきわけて進む配達の自転車、光を乱反射させて行きかう車、揃いのバッグパックを背負った外国人カップル……とすべてが愛おしかった。

(地上へ、生還!)

勝利のパットをカップにおさめたゴルファーさながら、ブラックホールのように人々が吸い込まれてゆく地下鉄の入り口で、空へ向かって両手をあげて快哉を叫ぶ。そこからはかるい足どりで家路をいそぐ、宇宙から帰還したての宇宙飛行士さゆりだった。

*写真は、前職(注:問題の「現職」でない)を去るとき、職場の人たちが開いてくれた送別会でさいごに出てきた思い出深いデザートのプレート。地下鉄内で平常の感覚にもどったとき、がんばった自分(の体)にかけたい言葉として浮かんだのは、この言葉だった。

 

 

 

銀河鉄道999

銀河鉄道999

 

 

 

注文の多い料理店 (新潮文庫)

注文の多い料理店 (新潮文庫)

 

 

 

人生ゲームー令和版-

時は進み、令和の夜明けを目前にひかえた週末――

保育園時代のママ友の家で、受験をおえた慰労会が開催された。出席者は、おもてなし役のAK夫妻と息子のY君、さゆりとテラス、それに、同じくシングルマザーのTM嬢と息子T君の計3家族7名。LINEでは親同士、子同士しばしば連絡をとりあっていたものの、一同に会するのは振り返ってみれば久しぶりのことで、タケノコのようにすっくと伸びた互いの子をながめながら、幼き姿を重ね合わせ「大きくなったねぇ~」と感嘆の連発だった。

平成の時代に育った子の特質か、思春期真っ只中となっても互いに照れることもなく、「子のテーブル」で男子2名と女子1名、まるで家族のように戯れながらAK夫妻のこしらえた愛情たっぷりの料理に舌鼓をうつと、そのままジェンガ、トランプ、UNOへと移行。ゲーム熱が盛り上がったところでその日いちばん白熱したのが、昭和の時代に一世を風靡した「人生ゲーム」だった。

「親のテーブル」で夕刻からアルコール片手に歓談していた親たちも、なつかしさもともない、会話を中断し、盤上に見入る。やがては話していた中身も忘れ、それぞれの「子」たちが紡ぎ出す仮想未来へ没入――サイコロに操られ、彩られる人生模様にわくわくハラハラしながら一喜一憂するという、運動会の応援さながらの様相となった。

なつかしのゲームにすっかり魅了されたさゆりのマインドは、以来、あの日たしかに子供たちの手でしまわれたはずの人生ゲームの盤上におき去られたままである。

たとえば、

テラス「ねえ、ママ。習字の先生のところに(高校生になったのでしばらくお休みすると)挨拶に行ったら、昇段試験を受けたさいごの月のお月謝が足りないって」

さゆり……(習字の昇段試験代が未納と判明。2000円払う)

宅配便業者「〇〇運輸でーす。代金引換便なんですが、よろしいですかぁ?」

さゆり……(夏の制服が予定より早く届いてしまう。32240円払う)

*注:「ムリムリムリムリムリ!」と無理を5回も重ね、再配達してもらった末に支払ったものだが…汗

といった感じ。こうしてみると、現実の人生においては出費ばかりで、なんと実入りの少ないことか!

イタリアで交通事故に遭い(このあたりの経緯にはまた別の機会阿に触れたい)、予期せず1人で子育てを行わなければならなくなったとき、生活上、さしづめ困ったのは、

① ビンや缶のふたが開かない

② 高い所に手が届かない(←結婚相手は2m近くある大きな人だったため)

③ 配線や水回りのメンテナンスに気を配らなければならない

といったことだった。

①については、すばらしき便利グッズに出会い、解消。②については「ひとり親生活の必需品!」とパッと開いてタタッと登れる脚立を購入したが、③については後々まで苦労が絶えなかった。さらに、

④ 防犯上の不安(←夜中に小さな物音でもすぐに飛び起きるようになった)

⑤ 経済面の不安

とつづくのだが……やはりこうして綴ってみると、数字が増えるにつれ、苦労も大きくなる順番に自然とならんでしまったようである。

そして、令和に入り、数日経った大型連休後半のある日――

庭先に歌うハナミズキを眺めながら「洗濯日和~」と朝から布団を干し、洗濯機を数回に渡り回していたさゆりだったが……気がつけば、室内に置いてある洗濯機まえの絨毯がビショビショ! 現在の住まいに引っ越してきた時、ちょうど一人暮らしをおえる友人から洗濯機を譲り受け、彼女の妹さん夫婦に手伝ってもらい取り付けたものだが、部屋の仕様に対しホースが短すぎたのか、その後たびたび氾濫――数年前、ついに近所の電気店のお兄さんに来てもらい、ホースをつないでもらった経緯があった。

(そのつなぎ目から漏れているのだろうか?)

素人判断も怖いので、さっそく電気店へ電話。すると夕方、数年前よりたくましくなった「お兄さん」が現れ、汗まみれになりながら洗濯機を持ち上げたり、傾けたり、給水したり、脱水したりのテストを繰り返し……数十分後に肩を落とし、告げられたのは、洗濯機のご臨終だった。……

(突如、洗濯機がこわれる。〇万円払う)

楽しいはずの〈人生ゲーム〉も、ただ中にいるとため息ばかり――しかし、新緑の庭に瑞々しい彩りをそえるハナミズキをながめながら、

(苦労の部分は淡々とくぐり、「新しい洗濯機のある生活」を楽しもう!)

と切り替える。

(令和の始め、神さまから「新しい洗濯機」という贈り物がとどく。〇万円払うも、その分以上のやる気とさらなる活力を得る)

人生ゲームー令和版-……ポジティヴに進もう! とハナミズキに向かい、誓いを立てるさゆりだった。

*写真は、テラスが9歳ときに製作した「人生ゲーム」〈夢よはばたけ〉版

 

 

 

 

人生ゲームプラス 令和版 (初回版)

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完熟ドミノ返し

翌日はまた、〈なごみ・やすらぎ〉とはほど遠い日となった。会社を「休職」している状態のため、生活継続のために傷病手当の申請といった雑多な事務手続きをくぐらねばならず、それらの書類を受けとるため、昼下がりのカフェで勤務先の事務担当者と会ったのだが、その背後で指示を出しているであろう(パワハラの)相手方の最終週の uncontorolable な状態が思い出され、気分がわるくなってしまった。

その足でもう1件、この職へと導かれた大もとととなる方へ仁義を切りにいく、という重要な用事をすませると、とたんに気力が萎えてしまい、まだ重い腰を引きずって、この世でもっとも落ち着く場所の1つである祈りの空間へ。そこで、天高くそびえる塔に向かって一心に祈り、自己流の「禊」をすませてゆっくりゆっくり帰宅。夜にはちょうど、テラスの新生活用にと携帯電話のポイントをためて購入したラックが届き、「こういうときには単純作業が最適」とばかりに組み立て作業に精を出す。……

ところが――疲れ果てて寝入ったはずが、夜半、左胸に締めつけられるような痛みをおぼえ、目覚めてトイレに行き、テーブルで白湯をすすってみるも、体の変調はなかなかおさまらない。(どうしよう、このまま死んでしまってはまずい)……と、親鳥がもどってこない巣で泣きわめく鳥のヒナを思い浮かべ、「命の一杯」といい聞かせながら白湯を一心に口へ運び、なんとか気をまぎらわせて床へもどる……

けっきょく重苦しい夜はつづき、ともかく不安を1つ1つ払拭していこうと意を決して早朝、重たい腰にムチ打ってS病院へ。土曜の朝の救急外来で心電図と心エコーをとってもらい、「とりあえず、すぐに心臓発作が起こるような兆候は見られません」といわれ、すこしホッとして病院をあとにする。

帰途、わが〈第2の聖地〉である叔母の家へ。今回の病の診断以来、初の顔合わせだったため、心配顔で迎え入れてくれ、勤務先から帰宅した叔父もまじえてパソコンで年賀状の原案を完成させたりと心和やかなひと時を過ごし、夕暮れ時、叔母に車で送られて帰宅。まだまだ元気な叔母夫妻をながめるのは楽しいが、こちらが気遣ってあげなければならない年齢となった叔母に送られて帰ってくる身の侘しさもあり、(早く元気になってこちらがケアする側に回らねば)との思いを新たにする。

その夜、思いがけない電話が――。発信者は、さゆりと同時期につらい思いをした友人TK嬢。いわく「近々、大切にしていたものを手放すことにしたので、少額だけれど、もし治療費やテラスちゃんの入学一時金が足りなかったら使って」と。「さゆりには命を救われたから」(彼女が病気になったとき、執刀医を紹介した経緯がある)との言葉に、人間という生き物の奥深さをしみじみと感じた。われわれは何を学ぶためにこの世につかわされたのか――という命題の答えを、この心清き友人を通してあらためて学ぶ思いだった。

月曜日にPET-検査――がん細胞は正常細胞に比べて数倍のブドウ糖をとりこむ、という性質を利用し、ブドウ糖に近いFDGという成分を体内に注射して多く集まる場所を撮影してがんの分布を見るというもの――を控えた翌日曜日は、本物の「安息日」となった。検査前日に激しい運動すると、疲労回復のため使われた筋肉に糖分が集まってしまい正しい診断ができなくなるため、「検査前24時間以内の運動」は厳禁とされていたのである。

そこで、それを理由に家の中でぬくぬくと読書に勤しみ、合間に友人3人と電話。うち2人はTK嬢とも仲のよい同級生だったため、「申し出が本当にありがたかった。たとえ借りる場面は訪れなくても、『貴女のことを思い、ここに控えているよ』というメッセージにどれほど勇気づけられたことか……』という話をすると、「昔から、心優しい人だったからね。人ごとじゃないんだよ、きっと」と1人。別の1人もしみじみうなずき、「(TK嬢とも仲よしの)YKにも『病気のこと、さゆりから聞いた』とLINEしたら、あの、いつもLINEの応答がみじかいYKから『皆で円陣組んでさゆりを守ろうね』ってめずらしく長い返信がきて驚いた」と、これまた泣ける話をしてくれた。

「人生はいったん穴に落ちると負の連鎖が起こる」――そんな話を昔、戦争体験のある祖父がしてくれたことを思い出す。それが今、世の摂理として本当によくわかる。たとえば、深刻な病気を告知された場合、そのことがストレスとなってつぎつぎに新たな病を呼びこんでしまう、といったことがある。「心を鬼にする」という言葉があるが、どこかの時点で心を強くし、負のドミノ倒しを食い止め、反対側へ押し返さなければならない。……

そんなことをつらつらと考えながら、気分転換に近所へ買い物に出ると、目にとびこんできたのは円熟期を過ぎても実が落ちない柿の木だった。完熟期を迎え、それでも落ちまいとさらに強固に支え合う実たち――まるでわが同級生軍団みたいだと、その1つ1つの実にTK嬢やYK嬢の顔を投影し、思わず笑みがこぼれる。

「ぜったいに下まで落ちない。『なにがなんでもおちないくん』(←昭和時代に流行った受験応援グッズ。両手にマジックテープがついたかわいいマスコットだった)!」

快晴の空にむかって高らかにそう叫び、ひと気のない午後のなだらかな坂道を、一歩一歩踏みしめながらひな鳥の待つ巣へと食料を運ぶ、PET検査前日の親鳥さゆりだった。

  

 

 

 

  

 

ディアブロな日々

つらい検査が重なった日は、いつもの3倍以上の時間をかけてゆっくりゆっくり帰宅した。そのとき感動したのは、「やっぱり人間ってすごい!」ということ。あれほどつらい検査をたてつづけにこなしても、その日のうちに1人で長い階段を上り下りし(それがたとえカメの歩みの速度だとしても!)地下鉄に乗り、朝出立した家へ帰還できるのだから――。

印象的だったのは、会計の待ち時間中に話しかけてきたおばあさんの話。いわく、「私は六女でお父さんという人とずいぶん歳がはなれていたけれど、いつも『平らかに』といわれて育ちました。おかげで立腹することが少なく、その甲斐あって90(←とても見えない!)をこえる長寿を授かりました。今の人たちは何かというとすぐ腹を立てるけれど、健康の秘訣はまずもって、この『平らかに』ということだと思います」……

その後、地下鉄の中で(胃の内視鏡検査の際に組織採取をした場合、しばらく「控えた方がよい」といわれたものがたしか3つあったはず…)と思い返す。そのうちの2つははっきり覚えていて、1つは香辛料、2つ目は炭酸飲料だったのだが……3つ目ははて? と出てこない。その答えをのらくら考えながら、ともすればギクッとくだけてしまいそうな左腰に手をあてたまま、検査のあとの何ともいえないだる重さから気をそらす……

はてしなく遠く感じられた家へやっとの思いでたどりつき、書類をとり出して確認すると、3つ目は「アルコール類」だった。さゆりはお酒を嗜まない性分のため、自分にあまり必要ない情報というのはぬけてしまうのだと苦笑い。これが「コーヒー」や「チョコレート」でなくてよかった、と前夜から封印していたコーヒーをゆったりと淹れ、部屋に広がるかぐわしい香りを堪能しながらチョコレートの缶に手をのばす……

その晩はぐっすりと休み、翌日また、いつもの時間の3倍をかけて駅までゆっくりゆっくり歩き、地下鉄に乗って御茶ノ水へ。待っていたのは大学時代の友人男子T氏。学生時代から変わらない、どこか温かみのあるエスプリの効いた発想が好きで、その風に吹かれて満身創痍の心と体を癒そうと、ハードな検査の翌日に病める体を運んできたが、これまたその努力の甲斐ある会談となった。

この日、T氏が連れて行ってくれたのは、古本屋街をすこし入った路地裏の隠れ家的ステーキ・レストラン。そこでなんと、T氏はステーキをご馳走してくれた! 皆さん、「これは、事件です!」厳格に「友人的割り勘」を貫くのが学生時代からの変わらぬT氏スタイルだった。おごられたた記憶はかつてなく、30年来のつきあいで、おそらくはじめてのことではないだろうか……その、口では表されない心配の気持ちがつまったステーキに、ほっこりしんみり舌鼓をうつさゆり……

どちらかというと寡黙なT氏が、この日、病についてコメントしてくれたのは以下の4点だった。

1.娘のテラスに状況をきちんと話したことは、それでよかったと思う。

2.治療の件は、ちゃんと道筋ができているから、それにしっかりのっかっていけばいいと思う。

3.最終診断結果を聞く日、つきそってくれる人を頼むなら、まずは弟(のどちらか)では?

4.それと全体的に、もう少し回りの人に頼った方がいい。1人で無理しすぎ。元気になったら、またその分返せばよいから。

そして、病の原因となった(と推測される)若い社長によるパワハラの件を、春先に親会社の取締役にさらっと相談したとき、「彼は年下だし、さゆりさんは経験豊富なんだからとりあえず大目にみてあげて。なにより、あなたはお母さんなんだから」といわれ、その後「お母さんなんだから」と自己暗示をかけてだんだんひどくなる事態を「パワハラ」と考えないようにやり過ごしてしていた……と話したとき、憤慨して以下のようにコメントしてくれたことが、温かく胸に残った。

「そんなの丸くおさめようとしているだけで、勇気をもって相談した相手のことをきちんと考えていない。年下だとか、お母さんだとか、そんなの関係ない。社会的にダメなものはダメ。そこをきちんと見分けて対処していかないから、体をこわすなんていうとり返しのつかない事態になったんだ…」

サンフランシスコで暮らし始めた頃、現地ではディアブロDiablo)というコンピュータ・ゲームが流行っていて、パソコン好きの新婚の夫とPCを有線でつなげて夜な夜なプレイしていた。どんな内容のゲームかというと、不気味な墓場で戦って宝石や武器を手に入れながらグレードアップし、また別の戦場へと移動する、というもの。

「闘いすんで日が暮れて」さて次はどこへ行けばよいのか、という段になったとき、町へ移動して、そこで出会うさまざまな人から情報を仕入れ、次の「戦場」を探すことになる。そのとき、「この人がまさに聞くべき相手」という人に話しかけた瞬間、その相手の頭の上にランプがともるという仕掛けとなっているのだ。

この日、さゆりの近況についてコメントしはじめたT氏の頭の上には、このランプが点灯しっぱなしだった。まさに「闘病」という闘いと、「休息」をかねた情報収集を繰り返すディアブロ的な日々――新婚の夫に喜んでもらおうと勉強して始めたPCゲームでさえ、この人生の難所を乗り切るための予行演習だったのではないか、と思えてくる。

場所をかえて飲んだ珈琲の余韻とともにT氏のうしろ姿が昼下がりの雑踏にかき消されてしまうと、一人のこされたさゆりの頭に突如、天高く突き抜ける篳篥(ひちりき)の調べが響いてきた。

〈勇気と無謀は紙一重とよく言うが、慎重と臆病もまた同様だ〉

と、2つの騒動が勃発したころ聞いていたラジオで、雅楽界の風雲児、東儀秀樹氏は述べていた。

〈勇気をふりしぼって進み、ふと振り返ったとき、ジグザグになった道に「これが自分が歩んだ道だ」と愛着がもてれば、それでよいと思う〉

とも。深くうなずきながら、学生たちと昼休みの社会人らが交錯するスクランブル交差点へ向かって一歩を踏み出す。心の中で、喜びと祝いの楽曲である越天楽を奏でながら。……

(*写真は、駅へゆっくりもどる途中で出会った銅像。中学高校時代、ソフトボールに情熱を傾けていた日々を思い出し、力強いシルエットにさらなる勇気を得た)

 

 

越天楽今様

越天楽今様

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Diablo 3 Eternal Collection (輸入版:北米) - Switch

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column【通院治療に必要なもの】

体に異変を感じてから10カ月――検査つづきでまだ本格治療には至っていないが、日本での通院治療についてここまでで感じたこと、必要だったものについてまとめておきたい。

1.服装

サンフランシスコで妊娠・出産のほか、怪我や手術等で多々病院通いをした経験を経て帰国したとき、都心の病院に通う人々が「なんとまあ、きれいにしてくること!」と驚いたのを覚えている。「きれいにしてくる」とは、かならずしも=stylish という意味ではなく、「かしこまった」「きちんとした」という意味。

忘れもしない、G病院から巣立ち、米国西海岸のUCSF通いを経てG病院へ出もどってきたとき、全身OLD NAVY スタイルのカジュアルなさゆりを見て、主治医のP医師は「……ずいぶんアメリカナイズされましたね」と絶句していたが……。

場所柄ゆえ、通勤の合間に通院する人も多いかと思うが、それでもとくに女性の場合、わずかな工夫で診察や検査の際に着脱しやすく、その分ほかの人々の待ち時間も減らすことができる、かつ病院で長時間快適に過ごせるという改善点は多々ある。昨今かなり「日本化」してきた自身への反省もこめ、通勤服ならぬ「通院服」につき気づいた点をご紹介したい。

〈おすすめ通院服〉

1)基本的にワンピースは避け、上下に分かれている服を選ぶ

2)上半身は、腕や裾部がまくりやすいもの選ぶ

3)下半身は、基本的にミニやタイトスカートは避け、ズボンの場合は下にストッキングやタイツをはかない(←診察や検査の際に「足首を出して」と言われたとき、ややこしいことになる)。インナーとして防寒対策が必要な場合は、スパッツ+靴下がおすすめ。

4)アクセサリーはひとまとめにしてポーチに入れておき、診察や検査が終了してから装着する(いちいち着脱していると、時間もかかるし紛失のおそれが否めない)

5)ズボンのジッパーからインナーにいたるまで、金属がついたものは避ける(わずかでも入っていると、検査の際、検査着に着替えなければならない手間がふえる)

この点、さゆりがもっとも病院向きだと思ったのが、ユニクロのエアリズムブラタンクトップ。診察の際、「上を脱いで」といわれても下着っぽくないため気にせず服を着脱でき、検査から検査へ渡り歩く際、こまごまとした下着を持ち歩いて紛失してしまう危険性も避けられる。何より、ワイヤーが入っていないためそのままレントゲンもとれる優れものである。

https://www.uniqlo.com/jp/store/goods/413659-69-004-000?gclid=Cj0KCQjwhPfkBRD0ARIsAAcYycHUYqiONrb4Ag3SNHzA8Ur2fScS4jnKKaqyLix1UeJvaJDs-ny5wCMaAvjmEALw_wcB

6)さらに冬の場合、厚着をしていかないこと。病院という場所は温度を高めに設定している場合が多いため、検査から検査へ移動すると汗まみれになってしまう。薄めの服装+厚手のコートが望ましい。

7)病院には靴音が気になる人が多くいたり、また麻酔を使用した後はフラつくことがあるため、ヒールは極力さけたい。着脱に時間のかかるブーツも、通院には不向きといえる。

2.携帯品

そこで、肩にかけられる大きめのエコバッグを1つ携帯し、さらに病院ではきかえる靴を持参して病院に到着したらはき替えてしまい、コートや傘、外履き用靴一式をその袋に入れて持ち歩くことをおすすめしたい。病院によっては、入り口付近にコインロッカーを整備しているところも増えてきたため、そのバッグを丸ごとロッカーに入れておくと忘れもの回避にもなって便利である。

〈おすすめ通院携帯品〉

1)肩にかけられる大きめのエコバッグ

2)病院用の靴(とくにレインシューズやブーツをはいて行く日は必需品)

これにつき、おすすめはこちらの靴。MERRELLはもともと登山靴のメーカーの商品なので履き心地がよく、足になじみ、靴音がせず、長時間はいていても疲れない。なによりサンダル型なのにかかとが浮かず、着脱時にしゃがんだり、かかとを押しこまなくても足になじむ点が高評価。

 3)折りたたみ傘と傘入れ

出がけにたくさん降っていると、つい長い傘をもちたくなるが、病院備えつけのビニール袋に入れてもちあるいていると、いたる所へ忘れてくる可能性が高くなる。そこで、通院時は折りたたみ傘をさすよう心がけ、病院内では昨今流行りの傘ケースに入れてコートと一緒ににエコバッグで持ち歩くと便利。

[rakuten:newton-style:10035545:detail]

4)本

病院はとにかく待ち時間が長いため、検査つづきの日にはとくに文庫本を2-3冊持ち歩いていた。電子ブックでもよいが、携帯電話は一応「貴重品」のため、検査中の盗難や置忘れが気になる方は紙本のほうが好ましいかもしれない。

5)ふわふわの丈の長い靴下

検査の合間など、ひんやりとした廊下で足が冷えてくることがあるため、これをポケットに入れておくとリラックス効果にもつながり、重宝する。

3.治療費

さゆりの場合、休職(のちに退職)と検査・治療期が重なってしまったため、治療費のやりくりには本当に神経を使った。役に立った制度、および申請方法は以下の通り。

1)傷病手当金

公的医療保険の被保険者が疾病または負傷により業務に就くことができない場合に、療養中の生活保障として全国健康保険協会健康保険組合等から支払われる給付のこと。いくつかの給付条件を満たしていることを前提に、休業中の場合、まず雇用主から申請してもらう段取りとなる。患者にはつよい味方の制度だが、給付までに相当の時間(さゆりの場合2か月程度)がかかるため、待機期間中は貯金や他の保険給付金等に頼らざるをえない。

https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb3040/r139

2)健康保険

休職後に退社することを余儀なくされたとき、困ったのは健康保険。すぐにでも代わりが必要だったため、役所や健康保険協会へ問い合わせていろいろ確認したところ、さゆりの年収で扶養家族がいる場合、国民健康保険に加入するより従来の健康保険を継続した方が安価なことが判明。ただちに健康保険協会宛「継続申請」を行うともに、さらに高額な治療に備え、「高額療養費限度額適用認定証」(保険証と併せて医療機関等の窓口に提示すると、1か月 の医療機関窓口での支払いが自己負担限度額までとなる)を申請した。

https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb3020/r151

3)その他の任意保険

いくつかの小さな保険に加入していたが、確認してみると「入院した場合」や「手術をした場合」に支給されるというものが多く、けっきょく頼りにならなかった。医療の進歩にともない、今後ますます通院治療がふえると予想されるため、できれば健康なうちに「がん一時金」が支給されるものに加入しておくと治療開始時に役に立つことが期待できる。

4.周囲の理解と応援

 これにまさる備えはないが、この点いついては後日あらためて別のコラムで紹介することにしたい。 

*写真は、ハードな検査の前夜、なかなか寝つけず点けっぱなしにしてしまったリビングルームからの光をうけ、凛と立つテラスのバレエ舞台用花飾り。目覚めてすぐに目にとまり、検査にのぞむ勇気を得た。